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zoom RSS この震災や余震の恐怖に直面しながらも

<<   作成日時 : 2011/03/31 18:03   >>

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この震災や後々の余震の恐怖に直面しながらも多くの避難者を守り抜いた人物こそ賞賛に値すると感じました。

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>子どもたち、地域の方々の生命を守ることが最後の仕事なのかな

こうした気持ちこそ大切である。

そのような気持ちを持った名もなき人物が犠牲者を最小限に押さえている。

我々はその名もなき人物に感謝しなければならない。



1300人の避難者守った校長がいた/ルポ

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110331-755017.html

避難者約1300人を守った校長がいた。宮城県石巻市立中里小の赤瀬博行校長(60)は、東日本大震災の発生直後、経験のない避難所責任者を買って出た。

あまりの被害の大きさで、市職員は駆けつけることができず、混乱する避難所で、避難者全員を体育館に集めて演説。

教室ごとに部屋長を決めて自治活動を促し、窮地を脱した。

30歳で脱サラし、32歳で教員になった赤瀬校長は、今日31日をもって定年退職。予想だにしなかった「教員最後の仕事」を振り返った。



職員室に避難者が整然とやってくる。

「飲料水をください」と小さな子が頭を下げた。

働きに出る母親が「家に子ども1人では不安です。学校(避難所)に置いてもよろしいですか」と頼むと赤瀬校長は快くうなずいた。

この秩序、地震直後では考えられなかった。



定年を20日後に控えた11日、大震災が襲った。

大津波警報に一挙1300人が中里小に避難。

教室には入りきらず廊下まであふれた。

職員は教員、事務員、用務員でわずか21人。

大勢の要求に騒然とした。



一夜明け、赤瀬校長は、全員を体育館に集めた。

おにぎりを3等分、パンを4等分して、1300人分にし、朝食として配った。

避難者の空腹がしのげないのは分かっていた。

マニュアルでは教員の役目は避難所の開設のみで運営は市職員の仕事だ。

しかし、被害が甚大で助けは来なかった。

21人は、がむしゃらに動いたが、混乱は収まらない。



親戚の安否情報を求める避難者が職員室に怒鳴り込んだ。

学校周辺は約2メートルの冠水状態で外にも出られなかったが、「調べてこいよ」と心ない声も聞こえた。



3日目に決断した。再び全員を体育館に呼び、壇上で本心をぶちまけた。

「職員はもう限界です。組織づくりをする協力をしてください」。

避難者の目の色が変わった。

23の教室ごとに班長を決め配給、消灯時間などのルールを作った。

その日を境に聞こえ始めた感謝の言葉。家族や家を失った職員もいるが、それでも泊まり込みで避難者を支えた。

冷え込む夜は、職員室のカーテンで体を包んだ。



30歳で脱サラし、アルバイトをしながら教職免許を取った。32歳で宮城県の教員採用試験に合格し、教員になった。

以後、「28年間、日本を支える子どもたちを育てよう」を信念に教壇に立ち続けた。

そして、最後に予想もしなかった仕事に直面した。「子どもたち、地域の方々の生命を守ることが最後の仕事なのかな、と全力でやりました」。

329人の全校児童は無事だった。

現在、避難者は約300人に減ったが、市職員は来ないままだ。

29日に予定されていた送別会は中止に。

陣頭指揮は教頭に託し、教員生活を終える赤瀬校長は「私は静かに学校を去りますよ」と花束も望まなかった。

【三須一紀】

 



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