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zoom RSS 「村八分」は日本人の優しさとは言うが・・・

<<   作成日時 : 2013/07/27 19:25   >>

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先日山口県周南市で起こった殺人事件は集落住民の「村八分」によるものだと日記に書いたがある方が村八分についてこのようにコメントされました・・・



> 簡単に言ってしまうと、村八分は差別をする事である。

では、村八分は良くない事だろうか?



たとえば、最近は男女平等が水戸黄門の印籠のように神聖化している。

「女は仕事なんかするな!仕事は男がして、女は家庭で主婦をしているものだ!」と言えば、今の社会だとそれこそ村八分もんだw



日本の伝統的な家制度が近年は急速に変革して(壊れて)いる。

私生児への理解や離婚への理解など、人権の観点から言えば「良い」ように思えるが、そのような人権擁護が「私生児」「離婚」の増加の温床となっている側面もあろう・・・



例えば、かつての時代であれば、父親のいない子供を産めば、村八分である。

近所に買い物に行っても、「お前みたいな不潔な女郎に売るモノはない、帰ってくれ!」と罵られ、塩を撒かれる。

当然、子供だって「あの子はふしだらな女の子供だから近いづいたら駄目だよ」と言われる。

「子供に罪はない」と言うのは正論であろう・・・

私生児の子供は、生まれた時から父親に甘える事も出来ないし、母親も自分も近所から忌み嫌われて生活する事になる。



でも、このような村八分があるからこそ、護られて来た日本の家制度がある。



今度、嫡子と非嫡子の遺産の相続について、最高裁は「婚外子と実子で、相続に隔たりがあるのは、差別である」と判断しそうだ。



なる程、机上の論によって、人権・平等と言うものを追及すれば、それが「正解」なのかもしれない。



法律(憲法)が不倫(倫理に反する行為)に対して、人権の観点から擁護・保護を与えるなら、最後は国民の良心が、不倫を排除するしかない。



その為の最後の砦が「村八分」である。





ちなみに、残った2分は、「火事」と「葬式」である・・・



日本人は、盆には死者が家に帰ってくる死者の国である。その国で、死んだらそれまでの恨み辛みを全て水に流すと言う優しい気持ちを持っている。



彼の国では、「村9分」である。



怨は死んでも消える事はなく、相手の墓を暴いて死肉を食べたり、相手の像を作って永劫に唾を吐きかけたり・・・



村八分は、本当は「優しい」日本民族の本能なのだ。



ならず者を徹底的に村八分にする事で、多くの秩序を維持したのだ。



私生児を徹底的に蔑んだ事で、私生児を徹底的に無くそうとしたのだ。



しかし山口県周南市で起こった殺傷事件は被害者が殺人の容疑者に施したものは「優しさ」なのか?ならず者は厳しく処分し排除しなければならないがしかし新たに入ってきたものを排除するのはいかがなものか?

ま たこんな問題も現在起こっている。それはエゴイズムに染まった団塊の世代が「村八分」や「向こう三軒両隣」の真意を正しく理解せず逆によそ者を監視し排除 するツールとして自身の知らない間に利用し更にその慣習ははナチスなどの全体主義者や共産主義者が悪用しそれを権力維持に用いていたかもしれない。そんな ことを考えた。



悪習の泥沼に自身を入れ込み 「悪習」を「悪習」と思わないものにはやがて悪習によって滅ぼされるであろう



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